グッチオ・グッチは1922年にフィレンツェのパリネオ通りに自分の店を開き、1923年に「GUCCI」の店名を掲げました。当初グッチが主に扱ったのは、イギリスから輸入した鞄とその修理でしました。この鞄の修理によって、壊れやすい箇所や、そこをどう作れば良いかなどの旅行鞄の作り方を研究することができ、使いやすく丈夫な鞄を作る術を学ぶことができました。
1953年、グッチはアメリカ・ニューヨークに支店を出しました。グッチオの反対を押し切る形で息子のアルド・グッチが開いたものでした。
グッチオ・グッチはエキセントリックな言動が目立つが、職人からは信頼されていたし、彼も職人を愛していました。
その証拠にグッチには他の高級ブランドとは異なり、材料費さえ払えば職人が妻や娘、恋人に鞄を作っても良い、と言う日がありました(現在は消滅している)。
これは、同社の製品が職人の家族にとって中々手の届きにくいものであったことから、グッチオが自発的に考え付いた職人の家族へのサービスでしょう。
2代目パオロ・グッチの死去に伴い、その甥マウリツィオ・グッチがパオロの子供たちに連衡策を働きかけ、結果的に株式を独占しました。
しかしマウリツィオが妻の命を受けたマフィアによって暗殺されると、株式は宙に浮き、結局アラブ資本に買い取られてグッチ家は経営から締め出されました。
パオロの次男は「ハウス・オブ・フローレンス」を開業しています。
原点に戻って新たな品質の発信を図っています。
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